冬は確実に自分の表現力が減る。

何にも作りたくない、描きたくない。
それは寒いからだ。

冷え性の私は寒さは敵だ。
表現力さえも奪う。

そして春の匂いがすると、ふつふつ湧き出てくる表現力。私がゴソゴソ作り始めたら春がきた証拠である。

今はアクセサリーを初めてたくさん作ったり、エッセイ漫画を描いたり、LINEスタンプを今更ですがまた2つ登録したりと、地味に激しく動いている。


話は変わるが、夫はとても変わっている。まるで小学生男子と暮らしているようである。だが私より随分と人並みの常識を持ち合わせているのでさらに謎である。私が一般常識が無さ過ぎるというのもあるが、、。


そんな感じでエッセイ漫画を連載はじめました。
拡散やら購読、よろしくお願い致しますよー。無料であります。

https://note.mu/kawashimajunko



今日は仕事後に近所のワタリウム美術館へ。

奈良美智と写真家石川直樹の「ここより北へ」が開催されているのだ。


ワタリウム美術館は、私の店から徒歩3分程にある。
なので、ワタリウム美術館に準備で来てる時に奈良さんがうちの店にウッカリ来ないかな〜なんて思っていた。(ファン)
ちなみにまだ諦めていない。。


今日は久々ぽっかりと時間が空いたので千円を支払いワタリウム美術館のエレベーターを上がる。

上にあがるって北っぽくていいねぇ。

北海道、青森、サハリンには、シレトコ、という共通のアイヌ語の地名があることを知った。

石川直樹氏の作品初めて見た。

死んだ鹿の目がうちの犬と共通していた。

剥製の大きすぎる鹿は、ずいぶんと何もかもが抜け殻であった。

3階は、2人の日常の道具や本棚、レコードなどなど、おおー、奈良さん私もこれ持ってるぅー石川さんはとっても研究熱心な方なんだわ!なんてはしゃいだりしたが(一人です)、展示としては、なんとなくスペースを無理やり埋めたような感じであった。偉そうにごめんなさい。ぶって。


そして、最後にやっぱり思う。

「真似できないなぁ〜」って。


よく私は思うのだが、ライブや作品を見て、ワクワクして、今すぐ私もこれやろう!って感じるのは、とても良いことなのだが、それは結局すぐにでも誰にでも真似できる程度ということなのだ。
そこが狙いの場合ももちろんあるし、真似できそうでできない事も多いのだが。


私は今回もまた真似できないなぁ〜であった。
どんどん広げていく挑戦の範囲。
内容もさることながら、その精神に打たれました。



初めて見た奈良美智氏の作品は2004年の原美術館であった。
申し訳ないが、イラストレーターだと思っていた奈良様。あぁ!ごめんなさい!

大きな絵を見たときに足が震えた。
なんじゃこりゃ??なんなの?
モディリアーニを生で見たときにみたいにクラクラしたのを覚えている。

そこからハマって青森まで作品を見に行ったりした20代前半。

到底追いつかない、真似できない、かっこよすぎでしょ、遠い存在、でも同じ時を生きている喜び。



なのでつまり、私は私で好きなことをこのまま突き進もうって素直に思った。


北についてはぼんやりしか受け取れなかったが、最終的にこう思ったってことは、戦略にまんまとハマっているんだなぁ、またやられたなぁー!


愛してるなぁー




精神や肉体が不安定になると、
私は気がつくと髪をバサバサ切っている。
これは一種の精神の乱れかつ、そのストレスの反動で何かを創り出したい気持ちが出ているときによく見られる。(自分の事が少しだけわかってきた)

自分の髪は自分で切るのが普通だと常に思っているし、髪を他人に切られるのは、なかなか勇気がいる。自分で断ってあげる方がいい。私にとって美容業界は未だ謎である。
美容師さんよ、怒らないでください。


とりあえず、今日は気がついたら帰宅後髪をバサバサ切っていた。
意識があった夕方は、思い立った絵を、残された20分間、ぐおーと45個描きだした。

とにかく今は時間が取れない事がストレスなのである。
何かを表に出さないと精神が保てないので、手っ取り早く絵を描き、髪を切るのだ。
そんな時自虐的になる行為に走りがちなのだが、表現することでどうにか守られている。どんだけワガママなのか。

やりたいことをやるために乗り出したハズが、そうではない初めてのめまぐるしい現実に、どうにか波にのり、吐き出す表現が生まれる。



仕方ない悲しい現実は、
私は全て感覚という事だ。




レジンを買ったが支払いはまだだ。


あっ
リトルリンダ、三月から月曜、日曜、祝日休みになります。




私たち世代ならば誰でも真似したであろう、福山雅治の、一つ屋根の下のセリフ。「アンちゃん、、!」「電気がついたんだよ、、」と、後半北の国からの田中邦衛と混ざることも多いです。
あぁ!伝わらない!

つかみは全然オッケーでないまま書き貫きますが、そのアンちゃんのセリフです、そこに愛はあるのかい?です。

子供の頃はアンちゃん、ごめんね、よくわからなかった、今になって痛いほどわかるよ。私がおばさんになったらあなたはおじさんよ。


というのも、先日夫が家のこと何もしない割に、私が何もそれについて怒らなくなった我が精神の不可思議について自身のブログにまとめていたら、夫が書き途中の私のブログを見て、その後掃除を始め、ゴミを捨てたりした。

夫が家のことを何かしてくれたら、嬉しい。
家のことを何もしなくとも、別に私がやればいいだけだし、何も怒らない。
それは、何故か。
そこに愛があるからなのだ。

別にのろけてる訳では無い。
単純な話。
これが書きたかったのだ。

自分の店を持ちさらに強く思うのが、そこに愛はあるのかいだなと。

わたしは昼間夫の経営する飲食店を手伝っている。
そこそこ有名店なため、頭と体を毎日フル回転して、早くても雑じゃいかんと思いながらドタバタとしている。

とにかく私がてんてこ舞いな時夫が言った、「雑でもそこに愛があればいいよ」というのは、私には衝撃であった。



私は即座に感じた。
愛がものすごくあった。
愛は、そこにあった!




そこは経営者にならないと、心から思えない箇所であった。

今までの会社員の仕事も、イラストレーターの仕事も愛情はもちろんあって取り組んだつもりだった、しかし甘かったと思う。いや、若い頃は愛は無かったな、、。


今の自分の経営、夫の経営に関しての愛は凄まじいのだ。

そこは夫は言うまでもない。
彼はデザイナー歴が長いのだが、会社員の時も個人の時も、愛は私よりあったと思う。

なので家のこと何もしなくても、私はそんな事に対しては、怒らなくなったのであろう、という話。


母が言った、
男は思いやりと責任感。

それって、そこに愛はあるのかということですな。


そして、ラクガキ達を。











あまりにも当たり前の事をいうが、味覚とは、人それぞれである。

それは、音楽のセンスとも良く似ている。味覚のセンス。

センス、または価値観の違いなので、誰も味音痴だとも思わないし、私がグルメだとも全く思わない。


ある日、有名なラーメン屋に夫と行った。並んでいたのでおとなしく並び、のち食べた。

一口目で驚愕!

ひどく塩辛く、喉が焼けるほど味が濃い!
ひたすら酢で薄めたら少しマシになったが、身体が悲鳴をあげそうだったので、半分以上残してしまった。
こんなに不味いラーメンを食べたのは生まれて二度目だ。(一度過去にあった、、)

だが!常連らしき身体の大きな男性客が店員と楽しそうに話していて、大盛りラーメンを平らげていた。

、、、どういうこと??

私のラーメンの味を失敗したのだろうか?いや、違うはずだ、一緒に行った夫も私と同じ苦しそうな反応を示していた。

別の日に、夫と老舗パスタ屋へ行った。
厨房では長いコック帽の年配のシェフ達がいる。ランチタイムでもドリンクもサラダもつかない1300円以上のパスタ。

期待できる。むしろ期待しかしない。




そしたら、、、

もんの凄く不味かったのだ。


クリームパスタはフォークを入れ、持ち上げたら皿中のパスタ全部が持ち上がるほどベタベタしていて塩気も強すぎる。
トマトパスタも麺が茹で過ぎでベトっとしていて塩気がこちらも強すぎる。

夫と私は、不機嫌になるどころか、もう笑ってしまうほどであった。
だって長いコック帽の年配のシェフ。
逆になんでこんなパスタ作れる!
ドッキリか!


というわけだが、あるお金持ちの知人がここのパスタを絶賛していたという話を聞いて、再度ひっくり返った。

そう、何度も言う。

味覚のセンスが違うだけだ。
ただそれだけである。。





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