今日ベビーカーを押していたら、さっきまで頭をグラングランさせていた娘がついに眠りに落ちたので、近くの公園のベンチに座った。

携帯を置き、空を見上げていたら風がうなり、雲はみるみる形を変え、新緑をまとった枝達が頭上で窮屈そうに揺れていた。

気がつくと目の前に大きな大きな木がそびえ立っていた。

その木は、いくら風がゴォゴォと音を立ててもビクともしない。
周りの木々が揺れている中でジッと立つ姿はやけに目立ち、あまりに不自然で滑稽に見えた。

それは、斜めにそびえ立っていたからである。

斜め!!
なぜ!
どこを間違え、なぜ故そうなった!!

斜めでも、ビクともせず、堂々と立っている。

もし土がスケルトンになって根を追えるとしたら、こんなとこまで根が来てんの??!と驚きそうなぐらいな大きさと高さ。

そしてそのまま土がスケルトンになる事を妄想したのち、重力に逆らい地面からニョキッと伸びる木というものは摩訶不思議ではないか、ずっと見ていたらやけに奇妙に感じできたぞ、、と脳内がパンク寸前になったあたりで、気がついた。

私、夢中になってる、、、!!

この木、、、!
この木、、、すき、、?
あらやだ!
この木が好きだーーーーー!!!

この事実に気がついたらとても気分が良くなり、「私はこの木が好き」と心の中で何度も呟いた。

好きな木が出来るということはこんなにも幸せな事なのか。


多くの方々に、好きな木を作る事をオススメしたい。


明日も明後日もずっとこの木に会いに行こう。

妊娠中に言われたことは「子供ができたら遊べなくなるから今のうち行きたいところ行きなよ」。
学生の頃は「今しか遊べないからたくさん遊んでおきなよ」。

どれもいまいちピンと来なかった。
当たり前だ!
経験していないのだから。

学生の頃は課題やイラストの営業、グループ展に忙しかった。
時たまライブに行ったり、友達の家に泊まりに行ったりしたぐらい。
なんなら、社会人になった時の方がめちゃくちゃ遊んだ。
毎週スノーボードに行き、週に3回クラブに行き、友達のDJイベントには必ず顔を出した。
ライブペイントもたくさんした。


大人になったら遊べなくなったという人は、理由をつけて遊ばなかった人たちの言葉なのだとわかった。

妊娠中に関しては、出産経験がないのでどれだけ遊べなくなるのか、まったく想像がつかなかった。
何よりつわりは酷いし、体は重いし、動悸も止まらず、「この状態でどう遊べと、、??」という状態であった。

絶賛子育て中の、友人知人の話を聞いたところによると、「トイレも行けない、食事は大惨事で、まず麺類は投げるものだと思っている、自分のご飯は食べられない、寝ないからソファで抱っこしながら夜明けを待つ」などなど、恐ろしい情報ばかり入ってくるではないか!!

いや〜ご飯投げられるの無理無理、、など思っているうちに、子は無事生まれて急速に子育てがスタートした。
そして、それはこれまで経験した事のない愛情が芽生えたと同時に、皆が言う通り想像をはるかに超えて大変であった。(首が座るぐらいまでがピーク)

ただ、一番嫌だなと思っていた【ご飯を投げられる】という事だが、これが一番大した事なかったかもしれない。


1歳を過ぎると、Eテレを観てくれている間にこんなブログが書けたりします。

出産した朝方、赤ちゃんの体重身長をはかり、胎盤を眺めたりしつつ、私の身体を拭いてもらい着替えをし、少し落ち着いた2時間後ぐらいに車椅子で入院病棟に運ばれた。



陣痛の辛〜〜い中、湯船に入ったりぐるぐる歩かせられたり、ピークで痛いところに手を何度も突っ込まれたりした為、妊娠出産は基本無理をするのが当たり前なのかと思った。なので車椅子が用意されて驚いた。あ、乗っていいんですか、わー、優しいありがとう!的な。

そして我が子も小さなベッドに寝かせられ、私と一緒に4人部屋へ運ばれる。
あれ、個室って希望出したはず、、と思いながらスコーンと寝た。
だって2徹だもん。いや、微弱陣痛で2日前の朝方から眠れなかったので2.5徹だ、、。

そして朝食が運ばれていたらしいが気がつかず、下げに来た声で目が覚めて朝食を取る。
目が覚めた時に、もう陣痛が来ない事に大きな喜びを感じた。怖くない!


我が子は羊水を吐き、ウンチを少ししたが、泣かなくておとなしい。
(産まれたばかりだと赤ちゃんも疲れて眠いらしい、かわいい)

また仮眠を取ろうとしたが4人部屋の為、同室の赤ちゃん達がミャアミャア泣いていてすぐ起きてしまった。

そして我が子もつられて泣き出した。

我慢するのはなんとかなるが、みんな静かになった頃我が子が泣いてしまうと非常に気まずい。

少ししたら若い助産師さんが入ってきて、タメ口の上から目線で子宮の位置などを説明してきて腹が立ってた頃、個室を希望していた事がやっと伝わったらしく速攻4人部屋を脱出。


そしてなんともラグジュアリーなホテルの一室のような個室に移動した。
渋谷が一望でき、富士山も見え、アメニティは全部オーガニック。

心を躍らせながらの5日間の入院生活がスタートした。

窓からの景色↓


そしてその時あたりからなんと我が子は15分〜1時間おきに泣くようになった。
入院生活でゆっくりしてね、という言葉をたくさん頂いたが、どうゆっくりすれば良いのかわからないまま、子育てがスタートしていた。



当日と次の日の丸2日の深夜は15分おきの授乳だった。当日は見かねた助産師さんが3時間預かってくれた。

だが預かってもらってもナース室的な部屋で大勢の赤ちゃんたちと並べて泣かせっぱなしにしてるだけなので、かわいそうだと思った。

そしてそれから預かってもらう事をやめ、深夜も続けて授乳をした。

そしておっぱいがカッチカチになった。産後すぐはカッチカチになるそうだ。
びっくりした。痛みはない。
そして脇の下にしこりが出来ていた。
脇の下には乳腺があり副乳というものだそうで心配しなくて良いそうだ。

それより何より大問題は乳首が痛い事だ。
私も子も初めてなので、助産師さんがついて何度もくわえさせる。
1人だと難しいのだ。

そして乳首は切れて血が滲みカサブタが出来る。

でも15分おきにくわえさせる。

心の中で叫んだ。



「出産してもまだ痛いんかーーー!!!」



目を瞑り唇を噛み締めながら授乳を続けた。

3日目あたりから授乳間隔は30分〜1時間おきになった。

昼は赤ちゃんの黄疸検査や身体測定(K2シロップを飲ませる=赤ちゃんはビタミンKが作れないらしくK2シロップという甘い液体をスポイトで飲ませないといけない)などがあり、1人になる時間が来る。
その時に昼寝をすれば良いのかと3日目あたりから気がついた。

しかし、そうはいかない。

朝は産褥(さんじょく)ショーツをベリっと剥がされ会陰の傷をチェックされ子宮をギュウギュウ押され脈拍と体温を測る。

そして食事が運ばれたり下げられたり助産師さんがチェックに来たりなんだかんだで昼間は眠れない。

そして夜は授乳とおむつ替えでもちろん眠れない。

つまり1日まとまって眠れる時間は多くて1時間!それを数セット。

病棟の助産師さん達はとても親切で大好きだ。掃除のおばさまも大好きだ。
ただ思った、、寝かせて、、。

だけど毎日助産師さんに聞きたい事が山ほど出てくる。寝不足でも起きて聞きたい。

せっかくなので退院までに疑問を全部解消させて退院するのだと張り切って質問しまくった。主に授乳に関してだった。

おかげで退院時はすっきり。



退院日の1日前に、少しグレードダウンした個室が空いたというので移動してみた。2万円ほど違うのだ。

そしたら部屋は少しこじんまりとし、景色は庭のようなものが見え、個室だというのに隣の赤ちゃんたちの声が聞こえてきた。
我が子はつられて泣き、夜中もずっと泣いていたのでまた他のお母さん達に申し訳ないという気まずい気持ちになった。
聞こえるということはこちらの声も聞こえているはず。
最終日で良かった。

こんな部屋でした。↓


入院生活中は子宮収縮の痛みはそんなになかったが、会陰切開をしたので傷が痛い。ウォシュレットは痛いので手動のウォシュレットを渡されトイレへ行く度にお湯を入れてシュコシュコと傷口にかけて洗った。

歩行はひょこひょこノロノロが精一杯。
コインランドリーが少し遠くてその移動が体力も無かったので地味に辛かった。病棟では皆お母さん達がひょこひょこノロノロ歩いていて、ね、痛いよね、、って心の中で話しかけた。

そして便秘。便秘症ではないので驚いた。
母乳に影響のない薬を処方してもらい飲んだ。(便意が来た時は傷も痛く便もかたく陣痛を思い出した、、失礼!)


最終日前日は母体検診を簡単に行った。足をビャーッと開かれて会陰切開の抜糸。(もう足を開かれるのになんの抵抗も無くなっていた。)

抜糸は、えっ?ていうぐらい、むちゃくちゃ痛い。飛び上がるほど痛い。

そのあと「溶ける糸だからあとは自然に取れますよ」。
じゃあ今の激痛の抜糸しなくてよくない????ん???アアン?

まぁ良い、、。


そして赤ちゃんも何も問題なく体重も増え、極寒の日曜日に退院。
夫に来てもらい病棟を後にした。

続く


赤ちゃんを産んだ話。


1/10の朝5時過ぎから、腹痛で目がさめる。計ってみると15分間隔。

おや、これは陣痛だ。
予定日から3日過ぎたころで、
そしてこの日は新月である。
ついに来たか、この日が。
そしてトイレに行ったらおしるしがあった。

しかし5分間隔にならないと病院には行ってはならない事になっているので、間隔が短くなるのを待つ事にする。

昼過ぎには10分間隔になってきたが、まだ元気なので夫とグリコ(犬)とスターバックスに行って新作を飲むなどしていた。

入院に備え、忘れ物はないかを調べたりシャワーを浴びたりしているうちに、夜7時半頃から、5分間隔になっている事に気がつく。
痛みは強く、下剤を飲んだあとの様な気分である。

緊張感が増す。

8時ごろに登録していた陣痛タクシーを呼び、破水した時用にバスタオルを持ち夫と一緒に日本赤十字医療センターへ行き、夜間窓口で受け付けをし、5階の産科へと向かった。

途中で痛くて動けなくなるが、すぐおさまる。その繰り返しが陣痛である。

日本赤十字医療センターは、陣痛を耐える部屋と分娩室が同じなため移動が無くて良い。

薄暗い部屋へ夫と通され、持ってきたパジャマに着替えNSTという、赤ちゃんの心拍とお腹の張りを測る装置を腹部へ装着させられる。ジブリのオルゴールの音楽が小さく流れていた。

(スリッパを忘れ、駆けつけてくれた叔母が購入してくれ、届けてくれる。。)

腹痛はあるが、間隔が短くならない。
おしるしは流れ続けていて、分厚い生理ショーツのようなものをつけた。

腰の痛みがひどく、布を巻いたカイロをもらうが、すぐ取れてしまう。
腹巻に貼るカイロをつけたが、NSTの器具で温めたいところには装着出来ず、、。

1日目の夜はベッドでいきみを逃すのがつらくて、椅子を用意してもらい、一晩椅子で陣痛に耐えた。
子宮が握りつぶされながら腰が砕けるような痛みであった。
夫に一晩ついていてもらった。
早く産まれないので申し訳ない気持ち、等間隔で来る激痛で、なんともやるせなかった。

とにかく痛い。
陣痛の最中は返事が出来ないほどの痛みである。終わると普通に話せるので、陣痛が来るといきなり無視をする事になる。

2日目は湯船に入る。
湯船の中の1人の陣痛は耐え難いものがあったが、間隔が短くなる事だけを祈り、耐えた。
だが効果なし。

両親、姉、叔父家族が来てくれていたが、あまり話せず2日目も日が暮れて行く。皆で交代で帰って寝てもらったり、シャワーを浴びてもらったりして、誰かしら常にそばにいてくれて、本当に心強かった。


NSTというものが途中でずれたりするのがとても苦で、赤ちゃんの心拍が落ちてるなどの騒ぎになったが、それは私の心拍が間違って取れていただけで、その度にピーピーなってその音がやかましく、悲しい気持ちになった。


本当に心拍が落ちた時は絶望であった。
赤ちゃんがかわいそうで1番涙が出そうになった瞬間だった。


そんなこんなで皆の期待を裏切り朝日が差し込み、6時間おきの点滴は4度目となった。


助産師さんが朝昼晩と交代する。
皆親切であるが、陣痛中に注射を失敗された時は心底辛かった。


そして最後の夜。
スーパー助産師さんが現れた!
早く産みましょう、という素晴らしい姿勢で、超スパルタだが確実に出産に向かっている気が初めてした。


陣痛の痛みは堪えるのに必死で、少し歩いては陣痛が来たら夫と母にテニスボールで肛門を抑えてもらい、腰をさすってもらう連携プレーをお願いした。
夫は指の皮がむけてしまった。


NSTのお腹の張りの数値が上がると陣痛が来るので、数値が上がりそうな時は近くにいてもらった。
1人では耐えられなかった。


赤ちゃんは回旋異常(赤ちゃんの向きが反対)と伝えられ、腰の痛みが普通の人より激しくなっているそうだ。確かに爆発しそうな子宮と大きなハンマーで砕かれる様な腰の痛みは壮絶であった。


回旋異常が治らないと、うまく産めないとの事で、陣痛の逃し方を色々やった。腰をあげたり、さげたり、息をたくさん吐いて、最後は酸欠になってきたので酸素を鼻にいれてもらった。


朝方に近くなり、常に全身がガタガタと大きく震えていた。
そして一回の重い陣痛で汗をたくさんかくようになり、額から滴った。

片手は自分の髪の毛を引っ張り、もう一方はベッドの手すりを強く握りしめた。
手すりが壊れるんじゃないかと思うほど強く握らないと耐えられなかった。

隣の部屋の他の妊婦さんのうめき声はもう聞こえなかった。

陣痛の最中に足を開いて子宮口を確認する作業が激痛で、心臓が止まるかと思うほどであり、思わず声があがった。

それを数度繰り返し、結局促進剤を投与。それが五分後ぐらいから効きだし、今までの悶える陣痛がさらに強くなり、朝4時ごろから本格的ないきみが始まった。

吐き気がして、助産師さんに伝え、寝ながら汚物入れに数回吐いた。

先生が3人ぐらい、助産師さんが3人ぐらいの大人数に囲まれながら、心臓が止まるかと思うほどの痛みを繰り返し続けた。

長時間耐えているため、体力もわずかで、本当に産めるのか不安になった。

声を出さずに息を吐く、息を吸わないと赤ちゃんの心拍が落ちるのでちゃんと吸う、を心がけたが、全身の震えは増し、痛みで気を失いそうであった。

母と夫が枕元にいた。
母の呼吸が聞こえた。

吸引分娩になりますとの話で、もう私の返事はかすれて無駄に高い声で全て、はい、としか言えなかった。
(陣痛中に叫べる人は余裕があると思う)

吸引分娩の器具が入った時はおもわず仰け反る程の痛みで、これ以上痛いことはないと思っていたさらに上を行った。

とにかく耐えた。耐えるしかない。
耐えれば会えるのだから。
赤ちゃんに会いたい、それだけだった。

そしたら夫の、おお!、という声が聞こえたと思ったら、赤ちゃんがぬるりと出てきた。

なんとへその緒がぐるりと巻いていたらしい。

とにかく産まれた喜びで、震えもスーッと止まり、全てが穏やかになった。
ランナーズハイ状態だ。

会陰は切られていたが切られる痛みより他が激痛のため、そんなものに気がつかず、クールな男性医師に最後麻酔をして縫われた。(途中麻酔が切れて痛いし、態度が冷たくて少しイラッとしたが、コウノドリの星野源役だと言い聞かせ心を落ち着かせた)


その後赤ちゃんは血をつけたまま私の胸でもぞもぞ動き、おっぱいに吸いついた。なんじゃこりゃ、かわいすぎるぞ!と、涙目になった。

その後スーパー助産師さんが胎盤を見せてくれて、測ったところ私の胎盤は人より大きいそうだ。

赤ちゃんはきっとこの胎盤が心地よくて、まだお腹にいたかったんだ、そして急に出ることになって張り切ったら向きを間違えちゃったんだ、そしたら吸引されてビックリしただろうなぁ。

そして、合計かかった時間は33時間20分。

実に長丁場であった、、。


そして赤ちゃんと部屋に移動し、赤ちゃんが寝てる間に爆睡、それでも3時間。食事が来て目がさめる。
寝かせてくれ。

そしてそのまま子育てに入るのであった!続く!

私はこれまで多くの独身女性の例に漏れず、仕事をして自分の生活費を稼ぎ、自分で好き勝手に浪費して、好きな人と好きなように面白おかしく生きてきた。

それが今、夫との間に子を授かってから、私の店は店長さんに任せて、主婦としての生活を過ごしている。

私は子供が産まれるまでの短い間、完全なる専業主婦をして思う。



「私できるじゃん、、!」






夫と過ごす家を毎日掃除し、2人分の食事を作り、洗濯をし、犬の散歩をし、細々した日々の面倒な作業をこなす。


これが、つまり着々と自信となっているのだ。
(そう生きて来なかった分余計そうなのだと思う)


仕事をしていると、決められた時間がある。休憩もある。(ない場合もあるが)

子どもが産まれたら、24時間労働になるらしい。

昼休憩や就業時間前のコーヒー、定時後の飲み会、風邪で午後休、有給消化、閉店時間にシャッターを下ろす、などが問答無用で出来なくなるそうだ。


いつだって営業中、バレーボールで言えば常につま先立ち前のめり状態なのであろう。


これがまた自信につながると思うと、子どもを産んで育てる事がとても楽しみでしょうがない。


専業主婦の方で、誰にも認められない、社会に取り残されていると感じる人も多いらしいが、お金を稼げなくなったからといって、引け目を感じてはならないし、社会に取り残されていると思うのは大間違いだ。


社会に大貢献しているではないか!
stop少子化!


今までやって来なかったことをやるという事が、全ては自信になっていくことが、私は嬉しくて仕方がない。
そして、そうさせてくれる環境に感謝を忘れてはならない。


何度目かの新しい生活が始まる。


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