出産した話

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    赤ちゃんを産んだ話。


    1/10の朝5時過ぎから、腹痛で目がさめる。計ってみると15分間隔。

    おや、これは陣痛だ。
    予定日から3日過ぎたころで、
    そしてこの日は新月である。
    ついに来たか、この日が。
    そしてトイレに行ったらおしるしがあった。

    しかし5分間隔にならないと病院には行ってはならない事になっているので、間隔が短くなるのを待つ事にする。

    昼過ぎには10分間隔になってきたが、まだ元気なので夫とグリコ(犬)とスターバックスに行って新作を飲むなどしていた。

    入院に備え、忘れ物はないかを調べたりシャワーを浴びたりしているうちに、夜7時半頃から、5分間隔になっている事に気がつく。
    痛みは強く、下剤を飲んだあとの様な気分である。

    緊張感が増す。

    8時ごろに登録していた陣痛タクシーを呼び、破水した時用にバスタオルを持ち夫と一緒に日本赤十字医療センターへ行き、夜間窓口で受け付けをし、5階の産科へと向かった。

    途中で痛くて動けなくなるが、すぐおさまる。その繰り返しが陣痛である。

    日本赤十字医療センターは、陣痛を耐える部屋と分娩室が同じなため移動が無くて良い。

    薄暗い部屋へ夫と通され、持ってきたパジャマに着替えNSTという、赤ちゃんの心拍とお腹の張りを測る装置を腹部へ装着させられる。ジブリのオルゴールの音楽が小さく流れていた。

    (スリッパを忘れ、駆けつけてくれた叔母が購入してくれ、届けてくれる。。)

    腹痛はあるが、間隔が短くならない。
    おしるしは流れ続けていて、分厚い生理ショーツのようなものをつけた。

    腰の痛みがひどく、布を巻いたカイロをもらうが、すぐ取れてしまう。
    腹巻に貼るカイロをつけたが、NSTの器具で温めたいところには装着出来ず、、。

    1日目の夜はベッドでいきみを逃すのがつらくて、椅子を用意してもらい、一晩椅子で陣痛に耐えた。
    子宮が握りつぶされながら腰が砕けるような痛みであった。
    夫に一晩ついていてもらった。
    早く産まれないので申し訳ない気持ち、等間隔で来る激痛で、なんともやるせなかった。

    とにかく痛い。
    陣痛の最中は返事が出来ないほどの痛みである。終わると普通に話せるので、陣痛が来るといきなり無視をする事になる。

    2日目は湯船に入る。
    湯船の中の1人の陣痛は耐え難いものがあったが、間隔が短くなる事だけを祈り、耐えた。
    だが効果なし。

    両親、姉、叔父家族が来てくれていたが、あまり話せず2日目も日が暮れて行く。皆で交代で帰って寝てもらったり、シャワーを浴びてもらったりして、誰かしら常にそばにいてくれて、本当に心強かった。


    NSTというものが途中でずれたりするのがとても苦で、赤ちゃんの心拍が落ちてるなどの騒ぎになったが、それは私の心拍が間違って取れていただけで、その度にピーピーなってその音がやかましく、悲しい気持ちになった。


    本当に心拍が落ちた時は絶望であった。
    赤ちゃんがかわいそうで1番涙が出そうになった瞬間だった。


    そんなこんなで皆の期待を裏切り朝日が差し込み、6時間おきの点滴は4度目となった。


    助産師さんが朝昼晩と交代する。
    皆親切であるが、陣痛中に注射を失敗された時は心底辛かった。


    そして最後の夜。
    スーパー助産師さんが現れた!
    早く産みましょう、という素晴らしい姿勢で、超スパルタだが確実に出産に向かっている気が初めてした。


    陣痛の痛みは堪えるのに必死で、少し歩いては陣痛が来たら夫と母にテニスボールで肛門を抑えてもらい、腰をさすってもらう連携プレーをお願いした。
    夫は指の皮がむけてしまった。


    NSTのお腹の張りの数値が上がると陣痛が来るので、数値が上がりそうな時は近くにいてもらった。
    1人では耐えられなかった。


    赤ちゃんは回旋異常(赤ちゃんの向きが反対)と伝えられ、腰の痛みが普通の人より激しくなっているそうだ。確かに爆発しそうな子宮と大きなハンマーで砕かれる様な腰の痛みは壮絶であった。


    回旋異常が治らないと、うまく産めないとの事で、陣痛の逃し方を色々やった。腰をあげたり、さげたり、息をたくさん吐いて、最後は酸欠になってきたので酸素を鼻にいれてもらった。


    朝方に近くなり、常に全身がガタガタと大きく震えていた。
    そして一回の重い陣痛で汗をたくさんかくようになり、額から滴った。

    片手は自分の髪の毛を引っ張り、もう一方はベッドの手すりを強く握りしめた。
    手すりが壊れるんじゃないかと思うほど強く握らないと耐えられなかった。

    隣の部屋の他の妊婦さんのうめき声はもう聞こえなかった。

    陣痛の最中に足を開いて子宮口を確認する作業が激痛で、心臓が止まるかと思うほどであり、思わず声があがった。

    それを数度繰り返し、結局促進剤を投与。それが五分後ぐらいから効きだし、今までの悶える陣痛がさらに強くなり、朝4時ごろから本格的ないきみが始まった。

    吐き気がして、助産師さんに伝え、寝ながら汚物入れに数回吐いた。

    先生が3人ぐらい、助産師さんが3人ぐらいの大人数に囲まれながら、心臓が止まるかと思うほどの痛みを繰り返し続けた。

    長時間耐えているため、体力もわずかで、本当に産めるのか不安になった。

    声を出さずに息を吐く、息を吸わないと赤ちゃんの心拍が落ちるのでちゃんと吸う、を心がけたが、全身の震えは増し、痛みで気を失いそうであった。

    母と夫が枕元にいた。
    母の呼吸が聞こえた。

    吸引分娩になりますとの話で、もう私の返事はかすれて無駄に高い声で全て、はい、としか言えなかった。
    (陣痛中に叫べる人は余裕があると思う)

    吸引分娩の器具が入った時はおもわず仰け反る程の痛みで、これ以上痛いことはないと思っていたさらに上を行った。

    とにかく耐えた。耐えるしかない。
    耐えれば会えるのだから。
    赤ちゃんに会いたい、それだけだった。

    そしたら夫の、おお!、という声が聞こえたと思ったら、赤ちゃんがぬるりと出てきた。

    なんとへその緒がぐるりと巻いていたらしい。

    とにかく産まれた喜びで、震えもスーッと止まり、全てが穏やかになった。
    ランナーズハイ状態だ。

    会陰は切られていたが切られる痛みより他が激痛のため、そんなものに気がつかず、クールな男性医師に最後麻酔をして縫われた。(途中麻酔が切れて痛いし、態度が冷たくて少しイラッとしたが、コウノドリの星野源役だと言い聞かせ心を落ち着かせた)


    その後赤ちゃんは血をつけたまま私の胸でもぞもぞ動き、おっぱいに吸いついた。なんじゃこりゃ、かわいすぎるぞ!と、涙目になった。

    その後スーパー助産師さんが胎盤を見せてくれて、測ったところ私の胎盤は人より大きいそうだ。

    赤ちゃんはきっとこの胎盤が心地よくて、まだお腹にいたかったんだ、そして急に出ることになって張り切ったら向きを間違えちゃったんだ、そしたら吸引されてビックリしただろうなぁ。

    そして、合計かかった時間は33時間20分。

    実に長丁場であった、、。


    そして赤ちゃんと部屋に移動し、赤ちゃんが寝てる間に爆睡、それでも3時間。食事が来て目がさめる。
    寝かせてくれ。

    そしてそのまま子育てに入るのであった!続く!

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      • 1970.01.01 Thursday
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      • 20:05
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